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甲府家庭裁判所 昭和50年(家)216号 審判 1975年10月07日

申立人 和田一朗(仮名)

右法定代理人親権者母 和田洋子(仮名)

相手方 和田忠一(仮名)

主文

申立人と相手方との間に親子関係が存在することを確認する。

理由

(申立)

1  申立人の母和田洋子(以下「洋子」という。)は、昭和三九年五月六日本籍新潟県中頸城郡柿崎町大字柿崎七、〇六九番地小山正明(以下「正明」という。)と婚姻し、長男利男(昭和四二年五月三〇日生)をもうけた後、昭和四七年四月頃より正明(当時、埼玉県川越市松原三六五番地居住)と別居し、事実上の離婚状態となり、次で、昭和四八年二月一三日同人と、長男利男の親権者を父正明と定めて、協議離婚した。

2  ところで、洋子は、上記正明と別居し、事実上の離婚状態にはいつた約一ヵ月後である昭和四七年五月頃から、山梨県中巨摩郡若草町下今井において相手方と同棲生活に入り、昭和四八年一一月六日相手方と婚姻した。この婚姻当時、洋子は相手方の子を懐胎中で、同年一二月六日男子が出生した。これが、申立人である。この出生届は、相手方により戸籍法第六二条による嫡出子出生届としてなされ、それが受理され、申立人は相手方の戸籍に相手方の子として記載されている。

3  ところが、最近、洋子が帰化申請のため戸籍を調べたところ、申立人の出生が母の前婚(正明との婚姻)解消後二九六日目であり、民法第七七二条第二項の推定を受ける子であることが判明した。

しかし、洋子は、前記のように、正明とはすでに昭和四七年四月頃以降別居し、事実上の離婚状態にあり、その後一度も会つておらず、もとより肉体関係もないのであるから、この場合、実質的には上記民法の規定の適用はないといわなければならない。そして、戸籍に記載された親子関係は真実に合致するものであり、その戸籍の記載は事後的な判断としては正しいものと解されるから、かかる場合、改めて申立人を前婚の嫡出子とする戸籍訂正をし、その上で戸籍上の父との親子関係不存在確認の訴を求めて身分を確定し、さらに戸籍を現在の戸籍どおりに再訂正するというような形式論理にとらわれた手続を要せず、現在の戸籍記載を補完するため、子より事実上の父を相手方として親子関係存在確認の審判を求め、その審判書謄本を添付して戸籍記載の申請を行うことが認められてよいと考える。

よつて、本申立に及んだ。

(判断)

当裁判所は、昭和五〇年一〇月七日調停委員会を開いたところ、調停期日において主文同旨の合意が成立し、その原因である事実関係について争はなく、当裁判所の調査の結果によつても、申立人主張の一および二の事実は全部肯認できるところである。

そこで考えると、申立人は母(洋子)の前婚(正明との婚姻)解消後三〇〇日以内に生まれた子ではあるが、上記の事実によれば、申立人の出生は洋子が正明と別居し、事実上の離婚をし、相当長期間を経過した後であり、かつ洋子が相手方と事実上の夫婦となり、次で婚姻した後のことであつて、申立人が正明の子でないことは客観的に明らかであると認められるから、実質的に民法第七七二条第二項の適用はなく、従つて戸籍の記載と親子関係の実体との間にはなんらの食い違いはなく、相手方のなした嫡出子出生届は有効であるといわなければならない。しかし、申立人は、戸籍の外観上は母の前婚解消後三〇〇日以内に生まれた子となつており、このままこれを放置するときは、戸籍法第二四条により戸籍の訂正をされることがあり、身分関係が不安定の状態にあるので、相手方との間に親子関係が存在することを確認する旨の審判を得て、戸籍の補完をする利益(確認の利益)を有し、かかる場合には、申立人は、直接、相手方との間に親子関係存在確認の審判を求めることができると解するのが相当である。(もつとも、申立人は、別に、母の前夫である正明との間の親子関係不存在確認の審判を求め、その審判を得て戸籍の補完をすることをできるが、このいずれの方法をとるかは申立人の選択に任されていると解される。)そして、申立人が上記審判を申し立てる適格(申立人適格)を有することは明らかであるから、本申立は理由があるというべきである。

よつて、調停委員の意見を聴き、本申立を正当として認容し、家事審判法第二三条第二項により、主文のとおり合意に相当する審判をする。

(家事審判官 大内恒夫)

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